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東日本旅客鉄道労働組合

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浦和電車区事件から転送)
東日本旅客鉄道労働組合
East Japan Railway Workers’ Union(JREU)
略称 JR東労組
設立年月日 1987年昭和62年)3月
組合員数 2,899名(2025年4月)
国籍 日本の旗 日本
本部所在地 151-8512
東京都渋谷区千駄ヶ谷5-24-1 JR代々木総合事務所5階
法人番号 3011005000948 ウィキデータを編集
加盟組織 全日本鉄道労働組合総連合会
公式サイト JR東労組
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東日本旅客鉄道労働組合(ひがしにほんりょかくてつどうろうどうくみあい、略称:JR東労組(ジェイアールひがしろうそ)、英語: East Japan Railway Worker's Union、略称:JREU)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)の労働組合

組合員数は2025年4月現在で2,899名[1]日本労働組合総連合会(連合)に所属している連合組織である全日本鉄道労働組合総連合会(JR総連)に加盟している。日本国政府警視庁は、革マル派が浸透している組織と認識している[2][3]。なお、JR東労組側は関連性を否定している[4]

概要

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国鉄分割民営化で誕生した、JR東日本最大多数派の労働組合である。

JR東日本とは「共に国鉄改革を成し遂げる」目的から過去には協力関係にあり、JR東労組はJR東日本の諸施策に基本的に協力し、またJR東日本も、会社幹部がJR東労組主催の行事等に参加するなどしていた。しかし、2018年春闘で将来ベアをする場合は定額を要求し、会社と対立が深まるとストライキ予告を行うなど関係は悪化した。このため会社と労使共同宣言を締結していたが信頼関係が破壊されたとして破棄を通告された。

結局ストは行われなかったものの、2018年2月の1ヶ月間で、届出組合員数は2月1日の約4万7,000人から3月1日には約3万3,000人と大幅に減少。3月にも脱退の動きに歯止めがかからず、深澤祐二社長は4月3日、記者会見で過半数は割り込んでいるとの認識を示した[5]

JR東労組綱領

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  • 1, 私たちは労働条件の維持・改善をはかり、経済的・社会的地位の向上をめざす。
  • 1, 私たちは鉄道労働者の使命を自覚し、技術の錬磨と人格の陶冶に励み、21世紀鉄道の興隆をめざす。
  • 1, 私たちは組合員の利益を第一義とする労働組合主義にもとづき、政党の支配・介入を許さず、団結を強化し、労働者の総結集をはかり、日本労働運動の統一と発展をめざす。
  • 1, 私たちは国民の先頭に立ち、個人の尊厳を尊重し、日本国憲法に沿った自由にして公正・平等・平和な社会の実現をめざす。
  • 1, 私たちは基本理念を同じくする国内外の労働者と連帯し、基本的人権の確立と世界平和の達成をめざす。

歴史

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歴代委員長

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  • 松崎明 1987年 - 1995年
  • 菅家伸 1995年 - 1996年
  • 柚木泰幸 1996年 - 2000年
  • 角岸幸三 2000年 - 2004年
  • 石川尚吾 2004年 - 2008年
  • 千葉勝也 2008年 - 2014年
  • 吉川英一 2014年 - 2018年
  • 山口浩治 2018年 - 2020年
  • 佐藤英樹 2020年 - 2024年
  • 加藤誠 2024年 -

沿革

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会社発足初期

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JR総連を上部団体とするJR東日本社員で結成する単組であり、動労・鉄労・全施労・真国労・車労・社員労・鉄輪会などが合同して1987年3月3日に結成した。旧略称は東鉄労である。

当時のJR東日本は、国鉄分割民営化反対を唱える国労組合員の比率が他会社と比べて高く、職場によっては過半数を東鉄労が確保できていないという事情もあり「共に国鉄改革を成し遂げる」目的から発足当初は労使協力関係にあった。JR東労組はJR東日本の諸施策に基本的に協力したうえで「一企業一組合」を標榜し、またJR東日本も「JR東労組は経営のパートナー」として各種挨拶をしていた他、会社幹部がJR東労組主催の行事等に参加するなどしていた。むしろ、1994年週刊文春でJR東労組とJR東日本の「歪んだ労使関係」を特集した「JR東日本に巣くう妖怪」と題した連載記事を掲載すると、JR東日本管内の駅売店で週刊文春を一斉に「販売拒否」するなど、一種異常ともいえる対応を会社の側が示すことさえあった。

JR発足直後の1987年、上部機関の鉄道労連(現JR総連)内において、旧鉄労役員と旧動労役員との対立が早速表面化し「鉄産総連とのゆるやか協議体」発足騒ぎを起こしたが、東鉄労内では会社側が東鉄労を労使関係の基軸に据えていたことも相まってそのような動きは見られず、しばらくは表面上両者の対立は抑えられていた。

1991年に、鉄労系役員が組合運営の主導権を獲得したJR総連傘下のJR東海労組・JR西労組・JR九州労組・JR四国労組は、JR総連からの脱退に成功した。1992年にこれら4労組と鉄産総連が合流してJR連合が発足したが、東労組内では旧動労系役員が主導権を握っていたため、同様の脱退劇は不可能だった。そこで、1993年に、仙台・新潟地区の旧鉄労系組合員が東労組を脱退する形で、東日本旅客鉄道新労働組合(JR東新労)を結成、JR連合に加盟する。さらに、1995年に、旧鉄労系組合員が東労組を脱退し、ジェイアール・グリーンユニオン(JRグリーンユニオン)を結成、JR連合に加盟する。とくに、1995年のJRグリーンユニオン結成直前には、会社経営幹部と東労組の菅家委員長(当時。旧鉄労出身)との密談が囁かれたが、東労組は会社経営陣への批判は表立って行わず、菅家委員長が辞任することで矛先を収めた。

一方、JR連合はJR東日本管内での多数派形成を目論見、とくに組合耐性のないJR採用者にターゲットを絞って交流機会を得ようとした。東労組はJR連合発足時のような組織分裂を招きかねない組合員の他労組との交流を「組織介入・組織破壊」として厳しく制限し、交流に関与した組合員をいじめとも捉えかねない強硬手段に晒すことで引き締めを図ったが、会社は労労対立としてこれらの対立に積極的に関与することはなかった。

会社は、将来のリーダー層育成として「リーダー研修」「シニアリーダー研修」としてJR採用者の特定人物を選抜して数ヶ月の集合研修を企画実施したが、研修修了生の一部が「反東労組のグルーピングを行っている」として、研修参加者本人への強硬な追及はもとより、会社に対しても研修中止の団体交渉を申し入れるなど、不穏な雰囲気となった。東労組が明確に会社側の施策に異を唱えたのは初めてとされる。交渉の結末として「リーダー研修」は中止を余儀なくされたが、「シニアリーダー研修」は一般応募型の「実践管理者育成研修」に衣替えをして現在に至る。

その一方で労労対立は激化を極め、三鷹電車区品川車掌区松戸車掌区金町駅等でJR連合側とのトラブルが散見されるようになり、さらには浦和電車区事件のような行為にエスカレートするが、JR東日本会社は労労対立としてこれらの対立に積極的に関与することはやはりなかった。

浦和電車区事件

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JR東労組に所属し浦和電車区で勤務していた青年部所属の運転士が他労組組合員と交流していたことを、同労組への「組織破壊攻撃」として問題視し、2000年12月から2001年7月にかけ、集団で威圧・強迫して同労組を脱退させたほか、JR東日本会社からの退職を強要したとする事件。JR東日本会社はJR東労組との労使協力関係を維持してきたが、職場内で発生している社員間のトラブルに対し会社側はなすすべなく黙認・放置していた事態が公になり、この事件をきっかけに会社側は職場規律の確保・秩序維持を鮮明にし組合との距離を置くようになる。

当時、JR東労組は他労組組合員を自労組へ勧誘する「ハガキ行動」を行っていたが、運転士はこの行動にそもそも否定的であり、役員の説得にも応じず脱退をほのめかした。その過程で前の勤務地の同僚らとキャンプに参加していることを明らかにしたが、その中にJR東労組と敵対関係にあるJRグリーンユニオン(後のJR東日本ユニオン)の組合員がおり、一連の発言や行動が組織の統制を乱すのではないかと説明を求められた。追及を恐れた運転士は「JRグリーンユニオン組合員をJR東労組に勧誘する目的であった」という架空のストーリーを作るが、職場集会等で多数の組合員から組織破壊者であると「吊し上げ」される事態となり、自己批判をさせられた。後日ストーリーの辻褄が合わなくなりやむなく組合側に嘘であったことを告げると、さらに追及はエスカレートし組合からの脱退の表明を余儀なくされた。以後も組合員から嫌がらせを受け続け、退職に至る。

2002年11月、強要罪の疑いでJR東労組大宮地本副委員長ら組合員7人が逮捕された。一審では、検察側は「JR東労組組合員から運転士に罵声を浴びせる等して東労組脱退を迫った。東労組脱退後も運転士はJR東労組合員らから退職強要を迫り、運転士は退職した」と主張。一方組合側は「罵声を浴びせたとする日時は、運転士とはすれ違っただけで全く会話をしていない。退職強要を迫ったとする日時は乗務交代などでいることは不可能」と主張した。JR東労組組合員が発した言葉の一部は運転士によって秘密録音されたが、この秘密録音の反訳をめぐっても検察と組合側に食い違いが見られた。

2007年7月に東京地方裁判所は7名に対し有罪判決を言い渡し、それを受けJR東日本は社員籍のある6名を懲戒解雇処分(残り1名は既に自己都合退職)とした。2012年2月6日、最高裁判所上告棄却する決定を下し、有罪が確定した。元運転士はJR東日本に対して復職を求める民事訴訟を提起したが、2010年に和解し復職した。

起訴された組合員7人は344日間の拘留から美世志会(みよしかい)を結成し、JR東労組から裁判費用の負担や専従職員としての雇用といった援助を受けており、組合と共に「団結権に基づいた正当な組合活動」「運転士は嘘をついたことで職場にいづらくなり自ら退職した」「労組の弱体化を狙い国によって仕組まれた冤罪」と主張し活動を続けている。

なお、この事件については左派に属していると言われている佐藤優[6]週刊金曜日[7]二木啓孝[8]警察公安当局を批判している。

JR東労組内部での組織対立と、労使関係の冷え込み

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2000年に浦和電車区で発生した労労対立は上記の如く「浦和電車区事件」として2002年に白日のもとに晒されることになった。会社は表面上東労組側との関係性を維持しつつも、2002年6月には全株式が民間に売却され完全民営化が実現し、これにより当面の経営目標が達成されたことから、東労組と明確に距離を置き始める。一方で東労組内では、本部役員の一部が初代委員長松崎明の独善的な振る舞いに異を唱えたことから2002年に集団辞任。以後「本部派」と「反本部派」の組織内対立に発展し、その対応に追われたこと、浦和電車区事件の被告の裁判闘争を中心的な組織課題に据えたため、他労組の介入を露骨に追及することはなくなった。

2006年、会社は国労との間に生じていた裁判の包括和解をし、冷遇していた国労との関係を一定程度修復する動きに出た。2007年には、浦和電車区事件の第一審判決が東京地裁で言い渡され、全員執行猶予を含む有罪判決となり、会社は既に退社済みの1名を除く6名に懲戒解雇処分を発令した。JR総連の大会では冨田哲郎常務(当時)が「浦和電車区事件は司法の場で明らかにされる。職場秩序に関することであり、是々非々で対応する」、東労組の大会においては清野智社長(当時)の来賓挨拶で「改めるところがあれば改めるべき」と発言し、組合員が反発するなど、会社側と東労組側との関係は一層冷え込んだ。こういった労使協力関係の冷え込みや、国労との関係修復に危機感を覚えた東労組は、超勤実態の検証などと称し36協定を勤務発表直前まで締結しない、或いは締結しても3ヶ月などの極端な短期間締結をして会社に揺さぶりをかけるなどした。「本部派」と「反本部派」の組織内対立については、2007年に反本部派が東労組を脱退し、ジェイアール労働組合(JR労組)を結成したことから一定程度の終結を見た。

2009年になると、JR総連・JR東労組は2010年参議院議員選挙に組織内候補として田城郁の擁立を決定、民主党の公認を得ることに成功した。前述の会社への揺さぶりは選挙活動に影響を与えかねないことからいったんは鳴りを潜め、田城郁は2010年の参議院議員選挙で当選を果たす。一方で、東労組退任後も陰に陽に影響を与え続けてきた初代委員長松崎明が2010年12月に病気のため死去した。

2010年には、浦和電車区事件の被害者が会社と和解し、復職を果たす一方、7名の被告は最高裁への上告が2012年に棄却され、刑が確定した。会社発足初期には、会社施設内での組合活動を黙認していた会社も、浦和電車区事件をはじめとした数々の労労対立の温床となった「職場内での許可を得ない組合活動の禁止・職場規律の確保」を鮮明に押し出すようになり、東労組は「職場の組合活動の規制は萎縮につながる」として反発した。その一方、会社施策への協力姿勢は前述の田城郁議員の活動に影響を与えることから、引き続き維持した。浦和電車区事件の拠点ともなった京浜東北線乗務員基地再編施策が最大の焦点となったが、下十条運転区の廃止を1年遅らせたものの、2016年には関係区の発足を迎え、完了した。

2016年には田城郁議員の2期目を目指した選挙活動が取り組まれたが、選挙結果は落選となった。浦和電車区事件被告・田城郁議員支援という2つの大きな組織目標を失い箍が外れた東労組は、組織求心力維持のためかつてのような「労労対立」を利用した組織の引き締めを図ることはもはやできなかった。数年後には国鉄採用者が全員退職し、さらなる効率化施策が想定される環境下で、東労組の影響力の低下に加えて会社の経営権の一方的行使に対する危機感から、急速に会社との「労使対立」へ傾斜した。2016年には格差ベア反対のスト権論議という名目での組合員一票投票を行うが、「実質上スト権確立」などと称し会社へ牽制したほか、しばらく鳴りを潜めていた36協定の勤務発表間際締結・短期間締結を再開した。また2017年には、常磐線特急車掌1人乗務体制に強硬に反対し、会社は同施策の延期を余儀なくされた。東労組の影響力の誇示を主な目的とした会社に対する強硬な対決姿勢は、2018年春闘での「展望なき闘い」にそのまま持ち込まれることとなったが、発足時の「労使協力」から組織討議を経ず上意下達・なし崩し的に「労使対立」へ急転回することは組合員の大半が望んでおらず、2018年以降に組合員の大量脱退を招いた遠因ともなり、東労組の思惑通りに進むことはなかった。

大量脱退騒動

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2018年2月中旬から4月1日までで、約2万9000人もの組合員が脱退し、同年1月時点で約4万7000人(社員の約8割が加入)であった組合員が半数以下(30パーセント台)になったことが報じられた[9][10]。7月までに、全体の7割超に相当する3.3万人が脱退した[11]

2018年春闘において主要な闘争方針として「格差ベア(個々の基準給に対する定率での定期昇給)」を永久に根絶し、ベアを実施するときは全員一律同じ金額での昇給「定額ベア」を求めていたが、永久に根絶などという要求は会社側にとっては将来の経営権にまで踏み込む過度な要求と受け取られ、とても相容れるものではなかった。会社側が譲歩しないとみた組合側は「平和裡に話し合いで解決」するという労使共同宣言締結以降初めて、ストライキ権行使について定期委員会で方針決定し、会社と厚生労働省へ通知した。事態を重くみた会社側は組合との対応を国鉄改革以来の「労使協力関係」から、是々非々の対応に切り替えると表明し、労使共同宣言も破棄した。これを端緒として急速に脱退者が増加していった。会社は、3月16日には基本給に0.25%を乗じた額の定率ベアを回答、組合側は結局スト権を行使せず妥結したが、当初の「格差ベア永久根絶」とはほど遠い成果であったにもかかわらず「大きな成果を勝ち取る」などと不可解な宣伝に終始した。

春闘のスト権一票投票・スト権確立・行使通告・妥結に至るまでの一部役員が主導した不可解な闘争経過と辻褄の合わない説明、役員・組合員間の意識との乖離が埋められないまま見切り発車的に拙速かつ大義のない実力闘争に傾斜・固執したことはもちろんであるが、総額で基本給の5%以上という高額な組合費や乗務員偏重の運動方針、36協定を極端に短期間とした締結を期限間際に度々繰り返すことによる不安定な勤務発表と勤務作成者への過度の負担、浦和電車区事件・国政選挙をはじめとして闘争方針の貫徹にこだわるあまり普段から組合員を過度に締め付けていることなど、普段からの運動方針に対して、既に多数の組合員から求心力を失っていたばかりか不満が蓄積されていたところ、大半の組合員が会社への牽制球としかみておらず、大会討議・決議すらされていない「スト権」が何故か唐突に「実力行使」されたことに対し、不信感を持った穏健な組合員の大量脱退の引き金につながったとされる[9]

組合側は、この大量脱退について「不当労働行為ともとられる指示が、会社より各地で行われていた」と主張している[12]

4月12日、JR東労組は臨時大会を開催し、一連の騒動の責任は中央本部にあったとし、当時の委員長であった吉川英一の執行権剥奪、組合員資格停止処分を決定し[13]、その後6月に開催された定期大会において一連の騒動を「敗北」と総括したうえでスト権の完全消滅を確認。執行部を刷新した[11]

離脱した元組合員の一部は、親睦団体「社友会」を設立、一部の社員は新しい労働組合を結成したり、JR連合系のジェイアール・イーストユニオンに移籍した者もいるが、若い世代の労組離れなどといった価値観の変化もあり、大半はいずれの組合にも加入していないとされている[14]

分裂

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2018年3月20日、JR東労組東京地方本部を中心とした車両メンテナンス社員により「JR東日本新鉄道労働組合」(略称新鉄労組)が結成された。労使対立を主導した東京地本のなかでも、比較的穏健派とされる。新鉄労組は、2025年に、イーストユニオンへ合流した。

2018年6月23日、東労組高崎地方本部の元役員らによって「JR東労働組合」(略称ひがし労)が結成された。2020年には、元高崎地方本部執行委員長でJR総連役員も務めた人物が東労組を脱退し、同労組に加盟した[15]。ひがし労の中心的役員は東労組の中でも革マル系労働者OBの指導に忠実な人物が就任しているとされ、JR総連傘下組合の組合員に秘密裏に接触・介入していることが度々問題視されており、JR東海労とJR総連の対立(その後除名処分に発展)に関与していたことが取り沙汰されている。

2018年4月の臨時大会以降東労組本部は、組織の引き締めどころか極めて大きな痛手を被った「労使対立」路線を速やかに終息させ、組織力の回復に専念することとし、地本レベルで行われていた会社に対する不当労働行為申立ての取下げ指令を発出するとともに、2017年以降の「労使対立」を積極的に演じ、2018年のスト計画を推進したとされる東京・八王子・水戸の3地方本部派の本部における実権を剥奪したが、当該3地本では依然「労使対立」推進派が実権を掌握する「ねじれ状態」となっていた。東労組本部は当該3地本からの役員専従申請を認めない一方、本部批判・暴露系サイトの運営者が東京地本の役員であることが明らかになるなど、両者の対立はもはや修復不可能になる。3地本派は2020年2月に東労組を脱退し「JR東日本輸送サービス労働組合」(略称JTSU-E。後に輸送サービス労組に変更)を結成した[16]。運動方針は上記の経緯から会社に対して好戦的なスタンスを取る。

他に、新潟支社管内においては「JR東日本新潟労働組合」(略称JR新潟労組)が結成されているが、詳細は不明である。

JR東労組側は、「分裂は組織破壊であり許せない。(スト計画の失敗を認めない)自らの主張が通らないからといって、今春闘を目前にした分裂には憤りを禁じ得ない」と反発した[17]。しかし、輸送サービス労働組合側は新組合を立ち上げた理由を、当時東労組水戸地本(現輸送サービス労働組合)の組合員4名が起こした不当労働行為の個人訴訟に対して、東労組中央本部が訴えを取り下げるよう圧力をかけたことに「不当労働行為を無かったことにできない」と方針に反対したことを理由にあげている。なお美世志会は東労組に残留している。

革マル派との関係

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2010年2月、警察庁は広報誌にて「労働運動等への介入を強めた過激派」への動向に警鐘を鳴らした上で、「JR東労組やJR総連革マル派が浸透している」との認識を示した[3]

この事から衆議院議員佐藤勉が、第174回国会質問主意書にて総理大臣鳩山由紀夫に本件を問い質したところ、鳩山首相は「JR総連及びJR東労組の影響を行使し得る立場に、革マル派活動家が相当浸透している」との答弁書を送付した[3]

さらに、8月3日に開催された第175回国会予算委員会にて、佐藤と同じく衆議院議員の平沢勝栄が「JR総連及びJR東労組の政策調査部長という幹部が、民主党の公認で全国比例区から出馬し当選している」と指摘。

それに対して防災担当大臣(当時)の中井洽は「革マル派が相当浸透しているとの認識は事実である」と答弁した[18]

また、総理大臣(当時)菅直人は「いろいろな労働団体、さらにはいろいろな各種の団体、そういうところから候補者が民主党から出たいということで、当時の執行部として判断されて公認をした」との答弁を行った[18]

なお、JR東労組側は関連性を否定しているが、警察庁は2021年現在においても「革マル派が相当数浸透している」との認識を崩しておらず動向を注視している[19]

政党との関係

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2010年に民主党の田城郁をJR総連と共に組織内候補している[20][21]

脚注

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  1. ^ 2024年3月期 有価証券報告書
  2. ^ 岩手日報 (2011年2月21日). “首相、予算早期成立求める 政権維持へ意欲表明”. 2011年2月21日閲覧。[リンク切れ][リンク切れ]
  3. ^ a b c 衆議院 (2010年5月11日). “第174回国会 430 革マル派によるJR総連及びJR東労組への浸透に関する質問主意書”. 2011年2月21日閲覧。
  4. ^ 国家賠償請求訴訟の勝利判決にあたって
  5. ^ JR東労組の脱退者1万4千人 深沢祐二社長「過半数割ったのでは」 産経新聞 2018年4月4日
  6. ^ 『佐藤優 国家を斬る』(同時代社)
  7. ^ 「JR総連への政治弾圧」 週刊金曜日 2008年2月8日号
  8. ^ 2005年11月講演
  9. ^ a b JR東労組、組合員2.8万人「大量脱退」の衝撃”. 東洋経済 (2018年4月10日). 2018年4月10日閲覧。
  10. ^ INC., SANKEI DIGITAL (2018年4月21日). “スト通告のJR東労組、2万9千人脱退 全体の半数割る” (日本語). 産経ニュース. https://www.sankei.com/article/20180421-L57RIARVIZIVRNUZQDOBYTN42U/ 2018年4月20日閲覧。 
  11. ^ a b JR東労組、7割超が脱退 春闘契機、組織運営に反発か 朝日新聞 2018年7月30日
  12. ^ 18春闘情報「闘争委員会速報」|JR東労組東京地方本部│東京都│北区│労働組合」『JR東労組東京地方本部』。2018年5月31日閲覧。
  13. ^ 組合員資格を停止 JR東労組委員長 労働新聞 2018.05.08
  14. ^ JR東労組「3万人脱退」で問われる労組の意義 JR労組の脱退問題続報、「無所属」が大量発生 週刊東洋経済 2018年5月8日
  15. ^ JR東労組高崎地本執行部らによる背信行為を許さず組合員と共にたたかい抜く 全地本執行委員長会議・中央執行委員会見解 2020年10月21日
  16. ^ JR東日本の最大労組が分裂 2千人超脱退、新労組結成:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年2月10日閲覧。
  17. ^ JR東労組が分裂 新組合結成で組合員1万人下回る”. 産経新聞. 2020年2月10日閲覧。
  18. ^ a b 衆議院 (2010年8月3日). “第175回国会 予算委員会 第2号”. 2011年2月21日閲覧。
  19. ^ 令和3年版 警察白書”. 2021年8月21日閲覧。
  20. ^ JR東労組とは 組織部情報 No.43 組織内予定候補「たしろ かおる」民主党公認決定
  21. ^ JR総連定期大会に近藤洋介選挙対策委員長代理が来賓として出席 民進党 2017年6月6日

関連項目

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外部リンク

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