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ノート:博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか

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「博士の異常な愛情」はSF映画なのか?

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もう少なくとも10年くらいはSFマガジンとか読んでないし、最近なんかそういう解釈が出てきているのかもしれないのだが、それにしても「博士の異常な愛情」はSF映画なのか? ポリティカルコメディかなんかの部類でありSFの部類ではないのじゃないかと思うんだが。「speculative fiction」の略語としてのSFならばまあそう呼んで呼べないことはないが、その場合は「[[サイエンス・フィクション|SF]]」ではないだろうしな。

誰かこのあたりの事情を知ってるひといない?--Nekosuki600 2005年11月29日 (火) 09:16 (UTC)返信

「事情を知っている人」じゃありませんが、『渚にて』タイプの核破滅小説が創元推理文庫のSFに入ってたりしましたよね。核兵器やその運搬手段にまだ夢のような最新テクノロジーを感じられる時代だったのではないかと。あるいは核兵器による破滅後の生活自体が「科学的に予言されたフィクション」たりえたのじゃないかと。
むしろこの記事で気になるのは「最後に核戦争が起きる」と書いちゃっていることでして、あのキノコ雲はソ連の地球道連れ自爆兵器のものじゃありませんでした? ソ連が明確に反撃する場面はなかったような。誰も望んでいないのに世界が滅ぶ。あるいはMADに対する皮肉にもなってるわけで。ぐだぐだ書いてすんまそん--NekoJaNekoJa 2006年1月19日 (木) 09:10 (UTC)返信
自分が買った1980年代前半に書かれた世界のSF映画の歴史を書いた本では『渚にて』も『博士の異常な愛情』も紹介されていました。ですからSFに分類するのは昨日、今日の話ではないようです。公開当時に生きていたわけではないので当時どのように受け取られたのかは知りませんが。--Qura 2006年1月19日 (木) 12:40 (UTC)返信
リンク先の修正と、改行の修正を行いました。--124.108.255.92 2015年10月13日 (火) 16:30 (UTC)返信

SFマガジン2017年10月号~2018年2月号で3回に分けて紹介された「SFマガジン・オールタイム・ベストSF映画」ではリストの中に入ってたので、2017年末段階の評価としては「SF映画」として扱っても問題はないんじゃないかと判断します。--砂手紙会話2019年1月11日 (金) 14:52 (UTC)返信

セラーズの4役目について

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「当初はキングコング少佐も演じて、4役になる予定もあったがセラーズは断った(撮影テストは行われたらしい。セラーズのパイロット姿のスチル写真が残っている)。」とのことですが、最近のDVDに収録されているメイキングフィルムによると、実際に4役目のコング少佐の撮影をしていたが、高いところに釣り上げた水爆にまたがったシーンを撮影中にセラーズとキューブリックが口論になり、激昂したセラーズが足を滑らせて転落して足を骨折し、操縦席に座ることができなくなったので急遽代役を探した、というエピソードが紹介されています。--零細系統保護協会会話) 2013年9月16日 (月) 15:23 (UTC) 修正しました。--零細系統保護協会会話2013年10月17日 (木) 06:33 (UTC)返信

外部リンク修正

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編集者の皆さんこんにちは、

博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月27日 (水) 23:49 (UTC)返信

セラーズの訳のところ誤訳かと:後年「このようなやり方は、映画の正規の方法ではない」と語っている[9][10]。

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ここのところは参考文献[10] にはKubrickの反応はあまり詳しくかかれてませんが、[9] にははっきり書かれていて、

つぎのようにあります。

"What we are dealing with," said Kubrick at our first real talk about the situation, "is film by fiat, film by frenzy." What infuriated him most was that the "brains" of the production company could evaluate the entire film -- commercially, aesthetically, morally, whatever -- in terms of the tour de force performance of one actor. I was amazed that he handled it as well as he did. "I have come to realize," he explained, "that such crass and grotesque stipulations are the sine qua non of the motion-picture business." And it was in this spirit that he accepted the studio's condition that this film, as yet untitled, "would star Peter Sellers in at least four major roles."

ここは crass and grotesque stipulations (てのはセラーズに4つ以上の役をやらせるという要求)は 映画ビジネスにはかかせない(あるいは必要なもの)といってるわけです。 要求に対して crass (stupid といっていいかとおもいますけど)and grotesuque (二度とできるかどうかわからないSellers の Lolita での多重人格の名演だけで映画の評価をしてしまうということを異常と思っている)ので 必要といっても必要悪くらいの訳にしてもいいのかとおもいますけども、すくなくとも 「映画の正規の方法ではない」なんて言ってないと思います。

I have come to realize such a .... are the sine qua non of the motion-picture business." And it was in this spirit that he accepted the studio`'s condition that ...

必要(悪)だと思ったから(in this spiritとあるし) accepted したわけで。

というか、そもそも sine qua non の訳が全く意味をなしてないような気がします。

Merriam Webster あたりを見てもはっきりと不可欠で本質的なものという意味であると分かります。

https://www.merriam-webster.com/dictionary/sine%20qua%20non

something absolutely indispensable or essential なもののことをいってるのですから訳を修正した方がよいかと。上の[9] の回想の文を使って

旧: 「キューブリックは、コロムビア側の提案を受け入れたものの、後年「このようなやり方は、映画の正規の方法ではない」と語っている」

新:キューブリックは、コロムビア側の提案を受け入れた。 「そのような愚かで歪んだ契約条項は映画産業の不可欠な要素だ。」と気づいたと述べている。[9][10]


そう思って英語のエントリ見たら、まさに ” Kubrick accepted the demand, later saying that "such crass and grotesque stipulations are the sine qua non of the motion-picture business." と書いてあって日本語エントリの参考文献の『9』の文章を少し書き換えただけです。

誤訳かと(思う)と見出しには書きましたが、確実に誤訳でしょう。

そういう愚かで歪んだ要求からセラーズの名演技が生まれたわけですから sine qua non ではないかと私も思います。


--Zephyrusjp会話2025年6月24日 (火) 14:52 (UTC)返信