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ノート:行動経済学

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最新のコメント:3 か月前 | トピック:「行動経済学は主に経済主体の合理性の限界に関心を持つ。」について  | 投稿者:ミクロ経済学

内容が同一の行動ファイナンスのページと統合した方が良いと思われるのですがどうでしょうか。 ウィキペディア英語版も行動ファイナンスは行動経済学へ移動しています。

行動経済学と行動ファイナンスの意味する所は本来異なります。現行記事のようにあたかも「行動経済学と行動ファイナンスが同一の内容であるかのような導入部」は極めてミスリーディングであり、問題があると思います。英語版でリダイレクトがあるのは、単に「行動ファイナンス」の単独した記事がなかっただけであって、それを根拠に「行動経済学=行動ファイナンス」と憶測するのは論外だと思います。以上の理由から、導入部を修正させて頂きます。--ミクロ経済学会話2017年4月23日 (日) 11:26 (UTC)返信

「行動経済学は主に経済主体の合理性の限界に関心を持つ。」について 

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大幅に加筆されていますが、最初の方を読んだだけでもかなり違和感のある記述やミスリーディングな記述が目立ちます。例えば導入部の 「行動経済学は主に経済主体の合理性の限界に関心を持つ。」ですが、経済学における「合理性」って多義語であって、用いられることの多い「行動や選好の合理性」という意味では「行動経済学は主に経済主体の合理性の限界に関心を持つ。」は明らかに間違っていますよね。例えばカーネマンのノーベル賞受賞の主要業績であるプロスペクト理論は「行動や選好の合理性」という観点では合理的な意思決定者の理論ですし、日経経済図書文化賞を受賞した室岡健志の教科書(2023)で解説されている理論も全て「行動や選好の合理性」という観点では合理的です。言い換えれば、(用いられることの多い「行動や選好の合理性」という意味では)「行動経済学は主に経済主体の合理性の限界に関心を持つ。」は明らかに誤った記述だということになります。 加筆部分が膨大すぎてひとつひとつ精査できないのですが、とりあえず導入部だけでも(行動経済学の分野で国際的な研究業績のある専門家が書いた行動経済学の教科書に沿う形で)書き直してよいでしょうか? --ミクロ経済学会話2025年3月31日 (月) 15:40 (UTC)返信

質的にも量的にも生成AIに書かせた記事なのではないかと疑っていますが、もしこの長文を人力で書いたのだとしたらこの「ノート」が編集されたら通知が来るように設定しているでしょうから、加筆された本人から返信が来ると考えています。
とりあえずWikipedia:合意形成

合理的な期間(通常は168時間程度〈約7日間=約1週間〉が妥当でしょう)内に異論がなければ、提案がそのまま決定事項となります。透明性を確保するため、合意はウィキペディアの議論のページ以外では成されることができません。

と書いてあったので、1週間待つことにします。--ミクロ経済学会話2025年3月31日 (月) 15:48 (UTC)返信
横から失礼します。(wikipedia初心者であり作法として間違っていたら申し訳ございません)
私も違和感を覚えたので、ミクロ経済学さんの編集方針賛成です。編集履歴を見るに英語版から翻訳しての加筆だったのだと思うのですが、英語版自体に出典の偏りがあるとともに出典から内容を上手く要約できていないように感じます。個人的にも、歴史の節の内容も間違いとは言い切れないものの乱暴なまとめ方という印象を持ちます。(アダム・スミスまで引いて行動経済学の歴史を示すのであれば、新古典派や制度派との関係、合理的経済人モデルの捉え方、アプローチまで含めて説明しなければ違和感があります)水野春彦会話2025年4月9日 (水) 11:39 (UTC)返信
ありがとうございます。とりあえず室岡(2023)をベースにしながら記事を編集することにしました。室岡(2023)は日経・経済図書文化賞を受賞している大学院生向け教科書ですので、ウィキペディアのWP:RSの観点からも申し分ないと思います。個人的には今学期はこの教科書を使って大学で講義をするので、講義に進捗に沿って加筆していく形にする予定です。--ミクロ経済学会話2025年4月14日 (月) 13:35 (UTC)返信