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大蔵省による一般会計予算の語呂合わせ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
例年、記者会見場にて語呂合わせが発表されていた大蔵省庁舎

大蔵省による一般会計予算の語呂合わせ(おおくらしょうによるいっぱんかいけいよさんのごろあわせ)では、日本の大蔵省により予算が作成された一般会計予算の語呂合わせに関して記述する。

内容

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一時期の日本では、新年度の一般会計予算の大蔵省原案が発表される際、大蔵省職員らの手により、予算額に対応した語呂合わせを製作していた。語呂合わせは大蔵省主計局の幹部あるいは大蔵大臣によって、マスコミを通じて発表された。この語呂合わせは1996年度の予算まで行われ、毎年の恒例行事となっていた[1]

予算案の語呂合わせが初めてなされたのは、1954年度予算であるといわれている[2][3]。このときの予算案は9995億8800万円で、約9996億円となるので、当時の大蔵大臣であった小笠原三九郎にちなんで「サンクロー予算」と呼ばれた[2]。なお、この政府予算案は1954年1月15日の午後に決定されたが、同日午前中の自由党政調会の時点では、金額は9992億円であった[2]。そのため、毎日新聞の1月15日夕刊の無記名コラム「短針」では、「自由党の予算申入れ九九九二億円。九九九六億円にしろ、三九郎予算のために」と書いている[4]。翌日の同コラムでは、金額がその通りになったことを踏まえ、「短針のいうことをよくきいた。万事それでやれ、天下無事におさまる」と書いている[5]

この年以降、予算案が発表されるときに語呂合わせが考えられるようになった[2]。1957年度予算の1兆1374億6488万円は「人々皆よろし」と呼ばれ[6]、同年の読売新聞では、予算と国民生活を関連付けた「一一三七四六四(ひとびとみなよろし)」というタイトルの記事を連載している[7][8]1960年以降は、大蔵省自身によって語呂合わせを発表するようになった[2][9]

大蔵省の語呂合わせが発表されると、新聞や雑誌などにおいても、予算を皮肉ったオリジナルの語呂合わせが掲載された[10]。その際、大蔵省の語呂合わせは「自画自賛」などと批判された[11]

一覧

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各年度の語呂合わせの内容は下表の通りである。なお、原則として語呂合わせ発表日は予算の大蔵原案発表日と同一であるが、政府案発表日に語呂合わせを発表した年もある(表の※印)。

予算年度 語呂合わせ発表日 語呂合わせ金額 語呂合わせ 出典 関係者コメント等
1954年度 9995億8800万円 サンクロー予算[注釈 1] [2]
1957年度 1兆1374億6488万円 人々皆よろし [6]
1959年度 1兆4192億900万円 1兆よい国 [12][13]
1960年度 1960年1月13日※ 1兆5696億7900万円 日ごろ苦労なし [14]
1961年度 1961年1月5日 1兆9373億9700万円 いくさなし予算[注釈 1] [15] 水田蔵相「戦なしとは縁起が良い。平和な健全予算だから、ぜひこのワクはくずしたくないね」[15]
1962年度 1961年12月19日※ 2兆4268億100万円 富士に緑波 [16]
1963年度 1962年12月22日 2兆8558億800万円 日本はいいや [17]
1964年度 1963年12月29日※ 3兆2554億3800万円 みんなにいい予算や [18] 大蔵省原案では3兆2667億3800万円だったが、この時は語呂合わせが決まらず[19]、政府案で金額が変更されたときに発表された。
田中蔵相「来年はオリンピックの年だし、"ミニコイヨ"ともいえる」[18]
1965年度 1964年12月19日 3兆6580億8000万円 365日晴れ晴れ [20] 田中蔵相「縁起が良い」[20]
1966年度 1966年1月6日 4兆3142億7000万円 予算でいい世になれ [21] 橋本官房長官「景気回復にもってこいの額」[21]
1967年度 1967年2月20日 4兆9509億1000万円 良くこれでくいとめた [22]
1968年度 1968年1月12日※ 5兆8185億9800万円 精いっぱいや [23] 木村官房長官「5兆8185億で上から読んでも下から読んでも精いっぱい予算。いいでしょう」[24]
1969年度 1969年1月7日 6兆7395億7400万円 無理なくサンキューいい予算 [25] 福田蔵相、記者団から「無理な、策ない」と言う声を聞きムッとするが、官僚案が公表されると、「これだ、これだ、サンキュー」[26]
1970年度 1970年1月24日 7兆9497億6400万円 なんとなく良くなろう [27] 記者団から福田蔵相に「70年は苦しくなるよ」との声があがる[27]
1971年度 1970年12月23日 9兆4143億2700万円 暮らしよい予算 [28]
1972年度 1972年1月5日 11兆4704億7200万円 いい世直し/人々、ようなれよ [29]
1973年度 1973年1月8日 14兆2840億7300万円 いい世に走れ73年 [30]
1974年度 1973年12月22日 17兆994億3000万円 17兆で苦心苦心予算 [31]
1975年度 21兆2888億0000万円 なし 大蔵省幹部「ゴロ合わせなんて、とてもそんな余裕は…」[32]
1976年度 1975年12月24日 24兆2960億1100万円 浮揚に苦労していい予算 [33]
1977年度 1977年1月13日 28兆5142億7000万円 日本はいい世になれ [34]
1978年度 1977年12月23日 34兆2950億1100万円 見よ浮揚に悔いなし/サヨナラ不況これはいい予算 [35] 大蔵省主計官「ゴロ合わせなんて、とてもする気になれない」[36]村山蔵相「あれは良き時代の遺物だ」[37]
1979年度 1979年1月5日 38兆6001億4300万円 さあやろういい世に向かって [38]
1980年度 1979年12月22日 42兆5888億4300万円 世にご破算予算を問う/世の中にいつも三つのハッピネス [39] 三つのハッピネスとは、国民生活の安定・経済の安定成長・世界への貢献を指す[40]
1981年度 1980年12月22日 46兆7881億3000万円 世論成って早い再建 [41]
1982年度 1981年12月22日 49兆6808億3700万円 よく胸張れや、皆 [42] 鈴木首相「良い国に向かって八方まるくやろうよ、みんなで」[43]
1983年度 1982年12月25日 50兆3796億300万円 50兆みんな苦労のゼロサム予算 [44]
1984年度 1984年1月20日 50兆6272億1400万円 50兆無事な第二歩いい予算 [45]
1985年度 1984年12月22日 52兆4996億4300万円 52兆良くする苦労 [46]
1986年度 1985年12月23日 54兆886億4300万円 いい世を早く迎える予算 [47]
1987年度 1986年12月25日 54兆1010億1900万円 54兆で十分充実いい暮らし [48] 記者会見の席では発表せず、会見終了後に別途発表された[49]
1988年度 1987年12月23日 56兆6997億1400万円 いろんな努力報われ悔いない予算 [50]
1989年度 1989年1月19日 60兆4141億9400万円 60兆で良い世に[注釈 1] [51]
1990年度 1989年12月24日 66兆2736億1100万円 労を重ね再び為さむいい予算 [52]
1991年度 1990年12月24日 70兆3474億1900万円 なるさ世の中良い暮らし [53]
1992年度 1991年12月22日 72兆2180億1100万円 72兆でフジヤマのごときいい予算 [54] 大蔵省「これはあくまでも省内で覚えやすくするためのもので、積極的にPRするつもりはありません」[55]
1993年度 1992年12月21日 72兆3548億2400万円 何よりもみんながいつもしあわせに予算 [56] 大蔵省主計局幹部「悪口を言われるんでしょうが」と前置きをしてから発表[57]
1994年度 1994年2月10日 73兆816億6900万円 波を越えやって行こう労は報われる [58]
1995年度 1994年12月20日 70兆9871億2000万円 70兆暮らしやすいないい日本 [59]
1996年度 1995年12月20日 75兆1049億2400万円 なにごともまずよい暮らし日本の世 [60]
1997年度 70兆3474億1900万円 なし 大蔵省主計局長「今年はやりません」

語呂合わせの終焉

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1996年12月20日、1997年度予算の大蔵原案が公表された際、いつものように記者団から語呂合わせに関して質問を受けた大蔵省の主計局長は、険しい表情で「今年はやりません」と答えた[1]。翌年以降も復活することはなく、こうして大蔵省による語呂合わせの発表は終わりを迎えた。発表が無くなった理由は公表されていないが、橋本内閣による財政構造改革の取り組みへの姿勢を示すためとも[61]、大蔵省の不祥事を考慮して自粛したとも[61]、マスコミに毎年皮肉られるのを嫌ったためとも[62]推測されている。

大蔵省案の廃止に伴い、新聞社製の語呂合わせも徐々に姿を消していった[注釈 2]。そして大蔵省自体も2001年の中央省庁再編により廃止され、財務省となった。

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c 1千万の単位を四捨五入
  2. ^ 朝日新聞、毎日新聞は1997年度予算案まで、読売新聞は1999年度予算案まで語呂合わせを発表していた。

出典

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  1. ^ a b 日本経済新聞1996年12月21日朝刊
  2. ^ a b c d e f 相沢 1981, p. 245.
  3. ^ 稲垣 1979, p. 321.
  4. ^ 毎日新聞1954年1月15日夕刊1面
  5. ^ 毎日新聞1954年1月15日夕刊1面
  6. ^ a b 経済知識 1957, p. 4.
  7. ^ 永島 1957, p. 47.
  8. ^ 湊 1957, p. 12.
  9. ^ 国友 1988, p. 110.
  10. ^ 「61年の予算額を『いい世を早く迎える』と呼ぶのはなぜ?」国友隆一『経済がわかる俗語・俗称学』ぱる出版、1986年、110-111頁。NDLJP:12002869/58
  11. ^ 読売新聞1967年2月20日夕刊、朝日新聞1984年12月23日朝刊など
  12. ^ 野田経済研究所(編)『わかりやすい現代経済読本』野田経済社、1959年、171頁。NDLJP:3014252/95
  13. ^ 朝日新聞2010年7月29日天声人語
  14. ^ 朝日新聞1960年1月14日
  15. ^ a b 朝日新聞1961年1月6日
  16. ^ 読売新聞、日本経済新聞1961年12月30日夕刊
  17. ^ 読売新聞1962年12月23日
  18. ^ a b 朝日新聞1963年12月30日
  19. ^ 読売新聞1963年12月21日
  20. ^ a b 読売新聞1964年12月20日
  21. ^ a b 読売新聞1966年1月7日
  22. ^ 読売新聞1967年2月20日夕刊
  23. ^ 朝日新聞、読売新聞1968年1月13日
  24. ^ 朝日新聞1968年1月13日
  25. ^ 読売新聞、朝日新聞1969年1月7日夕刊
  26. ^ 朝日新聞1969年1月7日夕刊
  27. ^ a b 読売新聞、朝日新聞1970年1月24日夕刊
  28. ^ 読売新聞1970年12月23日夕刊
  29. ^ 読売新聞1972年1月5日夕刊
  30. ^ 朝日新聞、日本経済新聞1973年1月8日夕刊
  31. ^ 読売新聞、日本経済新聞1973年12月22日夕刊
  32. ^ 読売新聞1975年1月4日夕刊
  33. ^ 読売新聞1975年12月25日
  34. ^ 毎日新聞、日本経済1977年1月13日夕刊
  35. ^ 読売新聞、日本経済新聞1977年12月23日夕刊
  36. ^ 朝日新聞1977年12月23日夕刊
  37. ^ 毎日新聞1977年12月23日夕刊
  38. ^ 読売新聞1979年1月5日夕刊
  39. ^ 読売新聞、毎日新聞1979年12月23日
  40. ^ 朝日新聞1979年12月23日
  41. ^ 朝日新聞、読売新聞1980年12月23日
  42. ^ 朝日新聞、読売新聞1981年12月23日
  43. ^ 日本経済新聞1981年12月23日
  44. ^ 朝日新聞、日本経済新聞1982年12月26日
  45. ^ 朝日新聞、読売新聞1984年1月21日
  46. ^ 朝日新聞、日本経済新聞1984年12月25日
  47. ^ 朝日新聞、読売新聞1985年12月24日
  48. ^ 朝日新聞、読売新聞1986年12月26日
  49. ^ 読売新聞1986年12月26日
  50. ^ 毎日新聞、日本経済新聞1987年12月24日
  51. ^ 朝日新聞、読売新聞1989年1月20日
  52. ^ 読売新聞、毎日新聞1990年12月25日
  53. ^ 朝日新聞、読売新聞1990年12月25日
  54. ^ 読売新聞、日本経済新聞1991年12月23日
  55. ^ 日本経済新聞1991年12月23日
  56. ^ 朝日新聞、日本経済新聞1992年12月22日
  57. ^ 日本経済新聞1992年12月22日
  58. ^ 朝日新聞、毎日新聞1994年2月11日
  59. ^ 朝日新聞、読売新聞1994年12月21日
  60. ^ 朝日新聞、読売新聞1995年12月21日
  61. ^ a b 毎日新聞1996年12月21日朝刊
  62. ^ 朝日新聞1996年12月21日朝刊

参考文献

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  • 稲垣吉彦『ことばの情報歳時記』創拓社、1979年2月。doi:10.11501/12449543https://dl.ndl.go.jp/pid/12449543 
  • 高原景氣果して注意信號か」『経済知識』第97巻、新経済知識社、1957年、pp.4-16、doi:10.11501/1418612 
  • 国友隆一『ものぐさ経済読本』ぱる出版、1988年6月。doi:10.11501/13063223ISBN 4-89386-001-1https://dl.ndl.go.jp/pid/13063223 
  • 永島寛一「政治と新聞」『新聞研究』第70巻、日本新聞協会、1957年、pp.45-48、doi:10.11501/3360627ISSN 0288-0652 
  • 湊作太郎「本年度予算と経済の動き――積極財政の及ぼす影響」『経済情報』第8巻第4号、経済情報社、1957年、pp.12-15、doi:10.11501/2666316 

関連項目

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