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富永政家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
富永 政家
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 1554年?
死没 1607年7月12日
別名 亀千代?、孫四郎、山城
戒名 常仙院殿日円大居士
主君 北条氏政北条氏直
氏族 富永氏
父母 富永直勝
富永直則
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富永 政家(とみなが まさいえ)は、戦国時代武将後北条氏の家臣。江戸城将・江戸衆寄親を務めた。

生涯

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天文23年(1554年)後北条氏家臣の富永直勝嫡子として誕生したとされる[1]永禄7年(1564年)の国府台合戦で直勝が戦死したため、家督を継いだ。江戸城栗橋城の城代を務め、伊豆の西土肥 7 ヶ村のほか妻良・加納両村、武蔵牛島村、上総勝村など1383貫を領し、軍事中心の役割を担ったとされる[1][2]

永禄12年(1569年)に当時在番していた岩付城から直接、滝山城の守備を命じられている。年代は不明だが、菩提寺として伊豆土肥に清雲寺を創建した[1][2]

天正18年(1590年)の小田原合戦では韮山城に加勢して、籠城した。戦後は流浪の身になり、奥州へと落ち延びたとされる。慶長12年(1607年)7月12日死去。嫡子の富永直則徳川家康に仕え、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに従軍した[1][2]

注釈

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  1. ^ a b c d 『戦国後北条家一族辞典』戎光祥出版、2018年、219頁。 
  2. ^ a b c 『郷土誌叢書第八集土肥の人物誌』土肥町教育委員会。 

参考文献

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関連項目

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