扶桑町立扶桑北中学校
表示
| 扶桑町立扶桑北中学校 | |
|---|---|
|
扶桑町立扶桑北中学校 | |
北緯35度21分51.624秒 東経136度54分40.734秒 / 北緯35.36434000度 東経136.91131500度座標: 北緯35度21分51.624秒 東経136度54分40.734秒 / 北緯35.36434000度 東経136.91131500度 | |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 扶桑町 |
| 校訓 | 進取 |
| 設立年月日 | 1982年(昭和57年) |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 学期 | 2学期制 |
| 学校コード | C123210003918 |
| 所在地 |
〒480-0102 愛知県丹羽郡扶桑町大字高雄字福塚10番地 |
| 外部リンク | 扶桑北中学校ホームページ |
扶桑町立扶桑北中学校(ふそうちょうりつふそうきたちゅうがっこう)は、愛知県丹羽郡扶桑町にある中学校。学校の周囲は扶桑町の文教地区であり、扶桑文化会館(1995年7月開館)、扶桑町図書館、扶桑町中央公民館が配置されている。
歴史
[編集]丹羽郡扶桑町の中学校は扶桑町立扶桑中学校のみだったが、1982年(昭和57年)4月に分離独立して扶桑町立扶桑北中学校が開校した。扶桑町立高雄小学校、扶桑町立山名小学校、扶桑町立扶桑東小学校の一部、扶桑町立柏森小学校の一部を学区とし、開校時の生徒数は741人だった。
年表
[編集]- 1982年(昭和57年)4月1日 - 扶桑町立扶桑中学校から分離独立して開校。学区は、高雄小学校区(全地区)、山名小学校区(全地区)、扶桑東小学校区(福塚地区)、柏森小学校区(高木西地区)。
- 1982年(昭和57年)
- 7月 - プール竣工。
- 12月 - 体育館竣工。
- 2001年(平成13年)11月16日 - 開校20周年記念式典を挙行。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 2学期制に移行。
- 2011年(平成23年)11月25日 - 開校30周年記念式典を挙行。
- 2024年(令和6年)7月 - 水泳部が廃部[1]。
生徒数の変遷
[編集]『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、生徒数の変遷は以下の通りである[2]。
| 1982年(昭和57年) | 741人 | |
| 1987年(昭和62年) | 809人 | |
| 1997年(平成9年) | 462人 | |
| 2007年(平成19年) | 415人 | |
| 2017年(平成29年) | 393人 |
その他
[編集]
職員室前に校訓の「進取」が刻まれたオブジェがある。特徴的な外見からGANTZ玉とも呼ばれるこのオブジェの中には、物を入れる事ができるようになっている。扶桑北中学校では入学後、2年後の自分に宛て、自分からと両親から、それぞれ2つの手紙を書く。それを2年間このオブジェの中に保管しておき、卒業式の際に取り出す。またこの際、今度は5年後の自分、つまり成人した自分に向けて手紙を書いてオブジェの中に入れる。扶桑町では成人式が扶桑北中からすぐの扶桑文化会館で行われ、新成人は式典後北中に集まり、再びオブジェを開ける。オブジェはこのように、タイムカプセルとして機能している。
出身者
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “水泳部☆引退式”. 2025年6月17日閲覧。
- ^ 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』p.473
- ^ 水越直哉「世界的ダンサーは扶桑町出身 「正直、田舎だけどさ」カホゴールドさん、母校で熱く「違いこそ武器になる」」『中日新聞』2023年8月25日。2024年1月31日閲覧。
参考文献
[編集]- 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校校長会、2018年
- 『扶桑町史 下巻』編集/扶桑町教育委員会 扶桑町史編集委員会 発行/扶桑町 発行年/平成10年1月17日
