稲垣秋介
稲垣 秋介 | |
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生誕 |
1946年8月7日(79歳) 三重県 |
国籍 |
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業績 | |
専門分野 | 自動車工学 |
勤務先 | |
経歴
[編集]1965年、三重県立四日市工業高等学校を卒業し、プリンス自動車に入社[4][5]。
1968年、三菱重工業自動車事業部入社[6][4]。コルトギャラン実験業務[6]の後、フォーミュラーカー (コルトフォーミュラー) の開発に携わる[6][4]。
1970年、自動車事業部が独立し三菱自動車工業に。同年よりラリーカーの開発に携わる[4][7]。1979年、ランサーEX2000ターボ ラリーカーの開発を担当[4][8]。1982年からの一時期、市販乗用車の開発に携わる[4]。
1985年、スタリオン 4WD グループB ラリーカーの開発を担当[9]。この時開発した駆動系は、ランサーエボリューション グループA ラリーカーに搭載される駆動系の原型となった[10]。
1988年、ギャラン VR-4 グループA ラリーカーの開発を担当[11]。
1989年、ギャランVR-4でラリーに参戦していた三菱の社内で、後継車として次期 (7代目) ギャラン VR-4と4代目ランサー 1800GSRが候補に挙げられた[12]。ランサーは4G93 1.8 Lエンジンを最大として開発しており、そこに4G63 2.0 Lエンジンを載せることは支持を得られず[13]、いったんはギャランに内定した[14]。しかし稲垣はギャランのリアサスペンションが複雑で整備性に問題があり、サスペンションストロークも不足していたことからラリーには適さないと考え[15]、独自に社外[注釈 1]でプロトタイプを製作して社内を説得した[17]。結果、ランサーをベースにした競技ベース車 (ランサーエボリューション) は正式に認められることとなる[18]。
ランサーエボリューション グループA ラリーカーの開発を担当[4]。1998年、モータースポーツグループ長[5]。2001年までWRC用車両開発に携わる[8]。三菱自動車在籍中はダカールラリー用車両にも関わっている[19]。
2007年、三菱自動車を定年退職[20]。田嶋伸博のオファーを受けてスズキスポーツ (スズキ・ワールドラリーチーム) に合流する[20]。当初は2009年以降に使用するS2000車両開発のためだったが、SX4 WRCを開発していたミシェル・ナンダンがチームを離れるとテクニカルディレクターの職を引き継ぎ、 SX4 WRCの開発を行う[20][21]。2008年途中にチームの成績不振を受けての体制見直しによってチームディレクターに就任した[22]。
著書
[編集]- 稲垣秋介『三菱によるラリーカー工学 公道最速カテゴリーの技術』三菱自動車工業株式会社 監修、山海堂、2005年。ISBN 4-381-08849-2。
- 稲垣秋介『三菱ラリーカーの軌跡 - コルト1000FからランサーエボリューションWRCまで』三菱自動車工業株式会社 監修、山海堂、2006年。ISBN 4-381-08860-3。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “最終戦で「フォーミュラ・ニッポン アカデミー」開催”. スーパーフォーミュラ公式サイト (2011年10月31日). 2022年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月29日閲覧。
- ^ “SUZUKI WRC CHALLENGE スズキWRCチャレンジ|参戦体制について”. スズキ株式会社. 2018年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月20日閲覧。
- ^ 古賀啓介 2004; 古賀啓介 2008a; 古賀啓介 2008b; 飯島俊行 2008; 今井清和 2009, p. 247; 古賀啓介 2011, p. 40.
- ^ a b c d e f g 稲垣秋介 2005, 著者略歴.
- ^ a b 佐藤紀泰 2002.
- ^ a b c 乙竹嘉彦 2006.
- ^ “THE OKAZAKI”. 三菱自動車工業株式会社. 2002年1月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年12月5日閲覧。
- ^ a b 川田輝 2006, p. 72.
- ^ 古賀啓介 2004; 稲垣秋介 2005, 著者略歴; 川田輝 2006, p. 72.
- ^ 飯島俊行 1995, p. 19; 川田輝 2006, p. 72; 川田輝 2007, pp. 37–38; 平松秀樹 2014; 両角岳彦 2014.
- ^ 稲垣秋介 2005, 著者略歴; 川田輝 2006, p. 72; 古賀啓介 2011, p. 40.
- ^ 稲垣秋介 2006, p. 75; 島津敏一 2014, p. 37.
- ^ 稲垣秋介 2006, p. 75; 川田輝 2007, p. 25; 平松秀樹 2014, p. 8.
- ^ 川田輝 2006, p. 72; 平松秀樹 2014, p. 8.
- ^ 川田輝 2006, p. 72; 川田輝 2007, p. 25; 平松秀樹 2014, pp. 8–9; 島津敏一 2014, p. 37.
- ^ 川田輝 2007, p. 25.
- ^ 稲垣秋介 2006, p. 75; 川田輝 2007, p. 25; 平松秀樹 2014, pp. 8–9.
- ^ 平松秀樹 2014, p. 9.
- ^ 飯島俊行 1995, p. 17; 飯島俊行 2008; 佐藤紀泰 2002.
- ^ a b c 古賀啓介 2008a.
- ^ 飯島俊行 2008.
- ^ 今井清和 2009, p. 247.
参考文献
[編集]- 佐藤紀泰「三菱自動車稲垣秋介氏――ラリーへの情熱負けない (カーガイたちの肖像)」『日経産業新聞』2002年7月17日。
- 乙竹嘉彦「匠の技 モータースポーツエンジニア 三菱自動車工業モータースポーツチーム 稲垣秋介氏」『自動車技術』第60巻第7号、自動車技術会、2006年7月、103頁、ISSN 0385-7298。
- 川田輝「青と赤の情熱」『WRC Plus』第17巻第36号、ニューズ出版、2006年10月、60-74頁、ASB:WRC20060906。
- (再録) 『Rally & Classics』第1巻、三栄書房、2009年、ISBN 9784779608360、ASB:RLY20091218。
- 川田輝「三菱海外ラリー参戦40年史 栄光の軌跡」『WRC Plus』第18巻第28号、ニューズ出版、2007年8月、16-50頁、ASB:WRC20070719。
- (再録) 『Rally & Classics』第1巻、三栄書房、2009年、ISBN 9784779608360、ASB:RLY20091218。
- 古賀啓介「SX4開発プログラムの指針を聞く ―― 稲垣秋介が語るSX4」『WRC Plus』第19巻第13号、ニューズ出版、2008年5月、22-23頁、ASB:WRC20080331。
- 古賀啓介「スズキ・ワールドラリーチーム ―― 反撃へ!」『WRC Plus』第19巻第28号、ニューズ出版、2008年9月、54-59頁、ASB:WRC20080808。
- 古賀啓介「稲垣秋介が語る VR-4、闘いの記憶。」『WRC Plus』、三栄書房、2011年6月、38-45頁、ASB:WRC20110610。
- 平松秀樹「三菱ラリーカーの保守本流 「ランエボ」の計は「スタリオン」にあり」『RALLY CARS』第4巻、三栄書房、2014年、8-13頁、ASIN B00J7KHE80、ISBN 978-4779621345、ASB:RLL20140310。
- 島津敏一「[PLAYBACK the RALLY Scene] 1993-1996 頂点への進化」『RALLY CARS』第4巻、三栄書房、2014年、14-39頁、ASIN B00J7KHE80、ISBN 978-4779621345、ASB:RLL20140310。
- 両角岳彦「自転と公転を操る秘密」『RALLY CARS』第4巻、三栄書房、2014年、62-71頁、ASIN B00J7KHE80、ISBN 978-4779621345、ASB:RLL20140310。
- 飯島俊行「三菱の強さの秘密」『オートスポーツ』第682巻、三栄書房、1995年7月、14-23頁、ASB:AST19950715。
- 飯島俊行「スズキワールドラリーチーム 稲垣秋介インタビュー 三菱WRC黄金時代を築いたカリスマ技術者が語るスズキSX4WRCの可能性」『オートスポーツ』第1147巻、ニューズ出版、2008年5月、42-45頁、ASB:AST20080228。
- 古賀啓介「エンジニア達のスタリオン回顧録」『Racing on』第19巻第11号、ニューズ出版、2004年8月、126-129頁、ASB:RON20040701。
- 今井清和「ラリージャパン、新たな道」『カーグラフィック』第48巻第1号、二玄社、2009年1月、242-247頁、雑誌コード 04303-01。