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美里町立砥用中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
美里町立砥用中学校
地図北緯32度37分12.9秒 東経130度52分03.2秒 / 北緯32.620250度 東経130.867556度 / 32.620250; 130.867556座標: 北緯32度37分12.9秒 東経130度52分03.2秒 / 北緯32.620250度 東経130.867556度 / 32.620250; 130.867556
過去の名称 砥用町立砥用中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 下益城郡 美里町
併合学校 砥用町立砥用西中学校
砥用町立砥用東中学校
校訓 自主・責任・実践
設立年月日 1982年昭和57年)4月1日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C143210001248 ウィキデータを編集
所在地 861-4727
熊本県下益城郡美里町原町330番地(旧・砥用町立砥用西中学校)
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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美里町立砥用中学校(みさとちょうりつ ともちちゅうがっこう)は熊本県下益城郡美里町原町にある公立中学校

概要

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歴史
砥用町内の下記の中学校2校が1982年昭和57年)に統合して開校。現校名になったのは2004年平成16年)。2022年令和4年)に創立40周年を迎えた。
  • 砥用町立砥用西小学校(ともちにし)
  • 砥用町立砥用東小学校(ともちひがし)
校訓
「自主・責任・実践」
校章
の若葉を背景にして、旧・砥用町の町章(「と」の文字を図案化)[1]を中央に置き、その中に「中」の文字を配している。
校歌
作詞は上野一徳、作曲は本住己未生による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「砥用中」が登場する。
通学区域

沿革

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旧・砥用西中学校(ともちにし)
  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 砥用国民学校初等科は、新制小学校「砥用町立砥用小学校」に改組・改称。
    • 4月 - 砥用国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校砥用町立砥用中学校」に改組・改称。当初、小学校に併設される。初代校長に境勉が着任。
    • 4月22日 - 開校式を挙行。
  • 1948年(昭和23年)
    • 1月 - 男女共学となる。
    • 3月31日 - 青年学校が廃止される。
    • 4月 - 小学校講堂を間借りし、教室として使用。
  • 1950年(昭和25年)
    • 5月 - 独立校舎(第一期工事)が完成し、2・3年生を収容。校歌を制定。
    • 9月 - プールが完成。
  • 1951年(昭和26年)
    • 3月 - 独立校舎(第二期工事)が完成し、1年生を収容。小学校との併設を解消。
    • 8月 - 畜舎が完成。
  • 1954年(昭和29年)
    • 3月 - 独立校舎(第三期工事)が完成。
    • 6月 - 自転車置き場・購買部が完成。
  • 1955年(昭和30年)
    • 4月1日 - 砥用町と東砥用村の合併により、「砥用町立砥用西中学校」に改称(「西」を付加)。
    • 7月1日 - 隣村の中央村から、今・坂貫・下草野・岩野の一部(九尾)が砥用町に編入。
    • 9月 - 中央村から編入された地区の生徒が中央村立中央南中学校[3]から編入。
  • 1957年(昭和32年)4月 - 同年6月に下草野地区が中央村に編入(復帰)することになり、該当地区の児童が中央村立中央南中学校[3]に転出。
  • 1960年(昭和35年)4月 - 校区改定により、砥用東中学校から豊富小学校[4]区の桑野・竹の原・中岳以外の地域が移管される。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 砥用町立砥用中学校への統合により閉校。35年の歴史に幕を閉じる。校地・校舎は新設の砥用中学校に継承される。
旧・砥用東小学校(ともちひがし)
砥用東中学校跡に建つ励徳小学校
旧・東砥用青年学校の門柱
(旧・畝野小学校敷地内)
  • 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
    • 4月1日 - 東砥用国民学校初等科は、新制小学校「東砥用村立東砥用小学校[5]」に改組・改称。
    • 4月 - 東砥用国民学校高等科は青年学校普通科とともに、新制中学校東砥用村立東砥用中学校」に改組・改称。当初、小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)3月31日 - 東砥用青年学校(東砥用小学校に併置)の廃止により、校舎が中学校に移管される。
  • 1949年(昭和24年)9月 - 最終所在地に新校舎(第一期工事)が完成。
  • 1950年(昭和25年)8月 - 運動場を拡張。
  • 1952年(昭和27年)4月 - 新校舎(第二期工事)が完成。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 砥用町と東砥用村の合併により、「砥用町立砥用東中学校」に改称(「東」の位置を変更)。
  • 1957年(昭和32年)3月 - 5教室が完成。
  • 1960年(昭和35年)
    • 4月 - 校区改定により、豊富小学校[4]区の桑野・竹の原・中岳を残して、それ以外は砥用西中学校へ移管。
    • 12月 - 運動場を拡張。
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月 - 校舎を増築。
    • 9月 - 運動場を拡張。
    • 10月 - 体育館が完成。
  • 1982年(昭和57年)3月31日 - 砥用町立砥用中学校への統合により閉校。35年の歴史に幕を閉じる。
統合・砥用中学校
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月1日 - 上記2校が統合の上、「砥用町立砥用中学校」が開校。
    • 4月9日 - 開校式を挙行。
  • 1991年(平成3年)- 剣道場が完成。
  • 1992年(平成4年)
    • 10月 - パソコン室が完成。
    • 11月 - 楽焼き釜が完成。
  • 1994年(平成6年)12月 - プールを改修。
  • 2003年(平成15年)2月 - 体育館が完成。
  • 2004年(平成16年)11月1日 - 2町(中央・砥用)合併により、「美里町立砥用中学校」(現校名)に改称。

交通アクセス

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最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路

周辺

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脚注

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  1. ^ 熊本県の市町村章一覧#廃止された市町村章を参照。
  2. ^ ○美里町立学校の通学区域に関する規則
  3. ^ a b 美里町立中央中学校#沿革を参照。
  4. ^ a b 美里町立砥用小学校#沿革を参照。
  5. ^ 後の「砥用町立畝野小学校」。1982年(昭和57年)3月末をもって閉校し、砥用町立励徳小学校に統合された。

参考文献

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  • 「砥用町史」(砥用町, 1964年(昭和39年)9月1日発行)
    • p.126~p.128(砥用西中学校)
    • p.128~p.129(砥用東中学校)

関連項目

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外部リンク

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