コンテンツにスキップ

臼杵市立福良ヶ丘小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
臼杵市立福良ヶ丘小学校
地図北緯33度06分53.1秒 東経131度47分39.5秒 / 北緯33.114750度 東経131.794306度 / 33.114750; 131.794306座標: 北緯33度06分53.1秒 東経131度47分39.5秒 / 北緯33.114750度 東経131.794306度 / 33.114750; 131.794306
国公私立の別 公立学校
設置者 臼杵市
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B144210000801 ウィキデータを編集
所在地 875-0053
大分県臼杵市福良360-1
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

臼杵市立福良ヶ丘小学校(うすきしりつ ふくらがおかしょうがっこう)は、大分県臼杵市福良にある公立小学校である。

概要

[編集]

臼杵市街地の南西側にあって、JR九州日豊本線上臼杵駅に近接し、臼杵川の右岸に位置している。

昭和25年 (1950年)、臼杵小学校から分離、旧臼杵商業高校の敷地、校舎を利用して開校[1]

昭和32年 (1957年)、鉄筋3階建ての校舎が落成[1]

昭和37年 (1962年)、補助校舎およびプール完成[1]

昭和38年 (1963年)、校歌制定[1]

昭和56年 (1981年)、体育館落成[1]

臼杵市では東海・東南海・南海連動型地震発生時に最大7mの津波が想定されており、本校北側の市街地にある臼杵市立臼杵小学校は、臼杵湾から約700m上流の臼杵川沿いにあって、海抜が2.2mのため、被害を受ける恐れがある。このため、臼杵市では、2016年度(平成28年度)に、臼杵小学校を、約1.3km離れ、海抜24mに位置する本校と統合する方針を2012年10月に示した[2]。しかし、区長会は反対の意見書を市に提出し[3]、臼杵小学校の保護者のアンケートでも反対が9割近くを占めたことから[4]、臼杵市は2013年1月に移転案を撤回した[5]

石丸 謙二郎氏(俳優、声優、ナレーター)は同校出身者であ

宗茂宗猛 (日本の元長距離走マラソン選手、陸上競技指導者) は同校出身者である[6]。茂のマラソンの芽ばえは4年生の時に校内マラソン大会で優勝したこと。広瀬先生からマラソンを勧められた[7]

通学区域

[編集]

畳屋町、田町、二王座、上塩田、塩田、東福良、福良、西福良、温井、平清水、千代田[8]

進学先中学校

[編集]

アクセス

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 臼杵市史編さん室 編『臼杵市史 中』臼杵市、1991年、594-595頁https://dl.ndl.go.jp/pid/13279660/1/321 
  2. ^ 津波避け、小学校高台へ 巨大地震に警戒、大分・臼杵市が方針 西日本新聞、2012年10月6日
  3. ^ 臼杵小の高台移転 区長会、反対の意見書 大分合同新聞、2012年10月25日
  4. ^ 臼杵小移転問題 保護者9割が反対 大分合同新聞、2012年11月2日
  5. ^ 臼杵小移転案を撤回 市、保護者の意向尊重 大分合同新聞、2013年1月31日
  6. ^ 宗茂, 宗猛 (2025年9月1日). “振り向いたら負けや : 茂と猛のマラソントーク (1986年)”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 国立国会図書館. 2025年9月1日閲覧。 “昭和40年3月に臼杵市立福良ヶ丘小学校を卒業した二人は、同年四月、臼杵市立西中学校へ入学。”
  7. ^ 陸上競技マガジン』ベースボール・マガジン社、1978年4月、68-71頁https://dl.ndl.go.jp/pid/7937528/1/35。「茂のマラソンの芽ばえは臼杵市、福良ヶ丘小学校4年生のとき。「お父さんお母さん、ボク校内マラソンで優勝したよ。タケシは2番だよ」。茂は、ニコニコしながら両親に報告するのだった。キミエさんの話によると「茂も猛も小さい時は、運動会の徒競走などいつも並んでドベ(びりっけつ)でしたよ」。そのドベが校内マラソンで1位を占めた自信は大きく、茂は担任の女教諭・広瀬先生から「宗君は足が速いからマラソンをやっては」と進められ陸上の練習にいっそう熱が入った。 猛が兄・茂に刺激されて陸上競技を始めたのは臼杵西中学校に入ってから。小学校3年までは同じクラスだったが、以後学校は一緒だがクラスは別別。」 
  8. ^ a b c 臼杵市立学校通学区域設定規則

関連項目

[編集]