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シンシア (よしだたくろう・かまやつひろしの曲)

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「シンシア」
よしだたくろうかまやつひろしシングル
初出アルバム『今はまだ人生を語らず
B面 竜飛崎
リリース
規格 シングル・レコード / SOLB-156
ジャンル フォークソング
時間
レーベル CBS・ソニー
作詞・作曲 吉田拓郎
チャート最高順位
  • 週間21位オリコン[1]
  • 登場回数23回(オリコン)
  • 売上15.2万枚(オリコン)
よしだたくろう 年表
金曜日の朝
1973年
シンシア
1974年
となりの町のお嬢さん
1975年
かまやつひろし 年表
人生は旅だよ
1973年
シンシア
1974年
我が良き友よ
1975年
今はまだ人生を語らず 収録曲
おはよう
(4)
シンシア
(5)
三軒目の店ごと
(6)
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シンシア」は、1974年7月1日によしだたくろうかまやつひろしが、「よしだたくろう&かまやつひろし」名義で発表したシングル・レコードである[2]

拓郎のシングルとしては、CBS・ソニーとしては最後のリリースとなり、1975年にフォーライフ・レコードへ移籍した。

制作

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シンシア

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表題曲の“シンシア”とは、「元祖アイドル[注釈 1]世紀のアイドル」[4]と語られる女性歌手、南沙織の愛称で、彼女のクリスチャン・ネームでもある。南の6枚目のシングル盤「早春の港」(1973年1月21日発売:SOLA-74)を耳にしたよしだがこの楽曲に感銘を受け、アンサーソングとして制作したのが本楽曲であり[5]、現役ミュージシャンが同時期に活躍するアイドルに捧げた歌という点が特徴である[2][6][7][8][注釈 2]。拓郎は「僕らの時代のアイドルで、すごいチャーミングで歌もよくて、アイドルだったんだけど、夜とか電話すると出かけてきてくれて遊んだりしてたの。すごい楽しくてね。大好きだったんですよ」など話している[9]。拓郎が愛する女性に[4]曲を作って渡すのはアマチュア時代からだった[10]

もともと、かまやつが拓郎と共演をしたくて、拓郎を口説いて出来た楽曲[8][11]。しかし拓郎メロディは、拓郎でないとうまく歌えないものが多く、レコーディングでかまやつがうまく歌えず、拓郎をガイドボーカルにして録音された[11]。1974年11月12日に放送された『ミュージックフェア』(フジテレビ)では、南沙織を挟んで拓郎・かまやつが「シンシア」を歌った[2][7][12]。拓郎のテレビ出演は、この時期しばらく無かったが、南との共演が出来るならということでテレビ出演した[8]。収録時のバック演奏ロックバンド愛奴で、ドラムソロ・デビュー前の浜田省吾である[7][8]。1974年の『ミュージックフェア』の放送があった少し前の10月26日に、南沙織は20歳を越えたチャレンジとして「夜霧のコンサート」という午前零時半から午前5時までの終夜イベントを行った[注釈 3]

竜飛崎

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B面の「竜飛崎」は、青森県津軽半島最北端に位置する岬、竜飛崎をタイトルとした楽曲である[注釈 4]。作詞は岡本おさみ、作曲が吉田拓郎で、このコンビは本シングル・レコードが発売された1974年の第16回日本レコード大賞を受賞した、森進一の「襟裳岬」を制作したコンビで、演奏は愛奴が演奏している。

収録曲

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Side:A

  1. シンシア(4分18秒)
    • 作詞・作曲:吉田拓郎

Side:B

  1. 竜飛崎(4分25秒)

主な収録アルバム

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カバー

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^ 泉麻人著『僕の昭和歌謡曲史』(2000年4月、講談社文庫刊)、『コラムダス』(1997年8月、新潮文庫刊)、『現代用語の基礎知識2003』特別付録・室伏哲郎著「ニッポン風俗・芸能グラフィティ」(2003年、自由国民社刊)、オリコンウィーク「The Ichiban」(1999年5月24日号)1000号特別記念付録「オリコン歴代シングルBEST1000」、「日本歌謡界にティーンアイドルの道を切り拓いた南沙織」[3]など。
  2. ^ 真心ブラザーズ「拝啓、ジョン・レノン」、ゆずジャニス(「ジャニス」とは、ジャニス・ジョプリンのこと)」など、歌詞や楽曲タイトルに実在した故人のアーティスト名が登場したり、森高千里青春」(プリンセス・プリンセスが登場する)や、松任谷由実甘い予感」(ザ・ビーチ・ボーイズが登場する)、ガロ学生街の喫茶店」(ボブ・ディランが登場する)など、歌手名がその楽曲で歌われる情景や主人公の人物像を膨らませるための趣味・嗜好として登場することはある。またのちに、石野真子ジュリーがライバル」、榊原郁恵「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」などのアイドル歌謡曲が発売されるが、どちらも恋人との比較対象としてその人物が引用されているわけであり、本楽曲とは意味合いが異なる。
  3. ^ 渋谷レストランから午前零時半から午前3時までは文化放送セイ!ヤング』で生中継が行われた[13][14]。抽選で選ばれたほぼ男子大学生のシンシアファン100人を会場に入れ、飛び入りゲストは事前告知されず、リハーサルもなしのぶっつけ本番[13]。ゲストがいつ会場に入って来るかも分からない。南の会場入りは前日午後11時45分[13]。仲良しのあべ静江[13]谷村新司[13]佐藤公彦[13]太田裕美[13]シェリー[14]ふきのとうらがゲスト出演した[13]。これに拓郎は泥酔状態で出演した[13][14]。また篠山紀信もゲスト出演している[14]。篠山は「ヌードを撮らせてくれ」とシンシアに迫ったが、この時点では「死んでもイヤ」と拒否されていた[13]
  4. ^ 竜飛岬は1977年のヒットソング「津軽海峡・冬景色」(歌は石川さゆり)の歌詞にも登場し、「北のはずれ」と歌われている。

出典

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  1. ^ 『オリコン・シングル・チャートブック(完全版):1968 - 2010』オリコン・エンタテインメント、2012年2月、366頁。ISBN 978-4-87131-088-8
  2. ^ a b c 渋村徹 (2021年4月15日). “吉田拓郎が曲を捧げた〝シンシア〟歌手・南沙織 プロマイドで綴るわが心の昭和アイドル&スター”. コモ・レ・バ?. CONEX ECO-Friends. 2025年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月3日閲覧。
  3. ^ 昭和46年(1971年)ティーンアイドル花盛りの時代”. あの年この歌〜時代が刻んだ名曲たち〜. BSテレ東 (2017年11月7日). 2021年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月3日閲覧。
  4. ^ a b 丸山圭子チャンネル『Welcome Back』第2弾!!”. 丸山圭子 Official Web Site (2022年). 2025年7月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年9月3日閲覧。
  5. ^ 石田伸也『吉田拓郎 疾風伝 〜』徳間書店、2009年、80頁
  6. ^ 田家秀樹『地球音楽ライブラリー 吉田拓郎』TOKYO FM出版、2007年、128頁
  7. ^ a b c 『吉田拓郎読本』音楽出版社、2008年、50、80頁
  8. ^ a b c d 永井良和『南沙織がいたころ』朝日新聞出版、2011年、135-136頁
  9. ^ LOVE LOVE あいしてる.157
  10. ^ ロングインタビュー 吉田拓郎 すべてを語る」『AERA in FOLK あれは、ロックな春だった!』朝日新聞出版、2006年、40-45頁https://publications.asahi.com/product/7305.html 
  11. ^ a b 富澤一誠『青春のバイブル』シンコー・ミュージック、1983年、142頁
  12. ^ 『シオノギ ミュージックフェア 35thアニヴァーサリー ワールドワイド・セレクション』(1999年7月16日発売、ポニーキャニオン)封入ブックレット内「番組全出演者リスト」参照。
  13. ^ a b c d e f g h i j 「南沙織 史上はじめて深夜のマラソンDJに完走!! 文化放送「夜霧のコンサート」午前0時30分 スタート」『月刊明星』1975年1月号、集英社、34–35頁。 
  14. ^ a b c d 『南沙織がいたころ』、139頁