球磨村立一勝地第二小学校
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球磨村立一勝地第二小学校 | |
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過去の名称 |
松谷小学校 松谷尋常小学校 松谷尋常高等小学校 一勝地村松谷国民学校 一勝地村立松谷小学校 一勝地村立一勝地第二小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 球磨村 |
併合学校 |
清尾小学校 大無田小学校 |
設立年月日 | 1875年(明治8年)9月 |
閉校年月日 | 2010年(平成22年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | 俣口分校(1930年 - 2010年) |
学期 | 3学期制 |
所在地 |
〒869-6402 熊本県球磨郡球磨村三ヶ浦乙629番地3 |
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球磨村立一勝地第二小学校(くまそんりついっしょうちだいにしょうがっこう)は、かつて熊本県球磨郡球磨村三ヶ浦乙にあった公立小学校。
2010年(平成22年)3月末をもって閉校し、校区を分割した上で、球磨村立一勝地小学校および球磨村立渡小学校に統合された。
概要
[編集]- 歴史
- 前身となる小学校2校はどちらも1875年(明治8年)。1878年(明治11年)に統合。2010年(平成22年)に閉校し、135年の歴史に幕を下ろした。
- 校章
- 旧校章(初代)は、桜の花弁を背景にして、中央に「松」の文字(旧校名「松谷」の頭文字)を配していた。一勝地第二小学校に改称後は、翼と学問を象徴するペン先を背景にして、中央に、円状にした「一」の文字で囲んだ「勝」の文字を配している。「第二」を表すために、校章の背後に二本線を引いている。
- 校歌
- 作詞・作曲ともに米田正支による。歌詞は4番まであり、1番の歌詞中に旧校名の「松谷」が登場する。
- 分校
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- 俣口分校(またぐち)- 本校とともに2010年(平成22年)閉校。
- 最終所在地(俣口分校) - 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲1840番地4
(北緯32度11分14.1秒 東経130度38分35.1秒 / 北緯32.187250度 東経130.643083度)
- 最終所在地(俣口分校) - 熊本県球磨郡球磨村一勝地甲1840番地4
- 俣口分校(またぐち)- 本校とともに2010年(平成22年)閉校。
沿革
[編集]- 1875年(明治8年)9月 - 毎床に「清尾小学校」、大無田に「大無田小学校」が創立。
- 1878年(明治11年)12月 - 両校統合の上、「松谷小学校」として松谷宮前に新築移転。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、球磨郡2村(一勝地・三ヶ浦)が合併の上、「一勝地村」が発足。
- 1892年(明治25年)- 「松谷尋常小学校」に改称。
- 1900年(明治33年)- 松谷中央高地に移転。
- 1924年(大正13年) - 「松谷尋常高等小学校」と改称。
- 1930年(昭和5年)8月 - 一勝地尋常高等小学校から俣口分校が移管される。
- 1932年(昭和7年)- 現在地に移転。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「一勝地村松谷国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)- 学制改革が行われる(六・三制の実施)。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 3村(渡・一勝地・神瀬)合併により、球磨村が発足。「球磨村立一勝地第二小学校」(最終名)に改称。
- 2010年(平成22年)3月31日 - 以下の統合のため、閉校。135年の歴史に幕を下ろした。
- 一勝地第二小学校の一部と他2校(一勝地第一・神瀬)を統合の上、「球磨村立一勝地小学校」となる。
- 一勝地第二小学校の残りと俣口分校が「球磨村立渡小学校」へ統合。
- 最終所在地(一勝地第二小学校)- 熊本県球磨郡球磨村三ヶ浦乙629番地3
(北緯32度13分27.8秒 東経130度39分59.5秒 / 北緯32.224389度 東経130.666528度)
- 最終所在地(一勝地第二小学校)- 熊本県球磨郡球磨村三ヶ浦乙629番地3
- 閉校後
- 「田舎の交流館さんがうら」として使用されている。
交通アクセス
[編集]- 最寄りの幹線道路
周辺
[編集]- 松谷阿蘇神社
- 那良川
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「球磨村史」
- 「一勝地第二小学校 田舎の交流館さんがうら姿」
- 「一勝地第二(いっしょうちだいに)小学校・松谷小学校跡をめぐる【球磨村立・一勝地村立・三ヶ浦村立】熊本県球磨郡球磨村の閉校・廃校になった学校」